「CFP(カーボンフットプリント)の算定が一段落した——次は何をすべきか?」。サステナビリティ推進の担当者から、こうした声を聞く機会が増えています。実は今、カーボンだけでは捉えきれない環境影響——水資源、土地利用、生物多様性——への注目が世界的に急速に高まっています。本記事では、その評価手法として注目される「ネイチャーフットプリント」について、中堅中小企業の担当者が押さえるべき基礎と今後の展望を解説します。
カーボンフットプリントだけでは見えない世界
CFPは温室効果ガス(GHG)に特化した指標であり、企業の気候変動対策を進める上で欠かせないツールです。しかし、企業活動が自然環境に与える影響はCO2だけではありません。
- 水資源の消費:製造工程や農業灌漑による水の大量消費が、河川生態系や魚類の生息環境を損なう
- 土地利用の改変:農地開発や都市化が、森林・湿地などの生態系を直接破壊する
- 富栄養化(窒素汚染):肥料由来の窒素が大気沈着を通じて陸域の植物種多様性を低下させる
例えば、牛肉のカーボンフットプリントと土地利用の影響を比較した研究では、土地利用の影響がカーボンよりも相対的に大きいことが明らかになっています。放牧地や飼料栽培地の開発による生態系への間接的な影響は、CO2排出量だけでは見えてこないのです。
LCA(ライフサイクルアセスメント)は元来、気候変動だけでなく複数の環境影響カテゴリを評価する手法です。その強みを最大限に活かし、自然環境への影響を包括的に評価するのがネイチャーフットプリントです。
ネイチャーフットプリントとは何か
ネイチャーフットプリントとは、製品やサービスのライフサイクル全体が生物多様性と生態系サービスに与える影響を定量評価する手法です。日本では環境省・内閣府の支援のもと、早稲田大学を中心とした「ブリッジプロジェクト」で開発が進められてきました。
評価は大きく2つの軸で構成されます。
生物多様性フットプリント
EMSY(100万年種あたりの絶滅種数)という指標で、企業活動が生物種の絶滅リスクにどれだけ寄与しているかを定量化します。MaxEntモデルを用いて2万種以上の生物種の分布域変化を予測し、温暖化や土地改変による絶滅リスクの増加を種ごとに評価しています。
生態系サービスフットプリント
生態系が人間社会に提供する便益——水の浄化、気候調整、食料生産、文化的価値など——の損失を経済指標(金額)で評価します。6か国でのアンケート調査をもとに、17種類のバイオーム(生態系の類型)ごとの支払意思額を統計的に算定しています。
最終的に、この2つの軸を束ねて貨幣換算できる点が画期的です。例えば、CO2排出によるサンゴ礁消失の経済的損失を「サンゴ礁の価値額 × CO2排出量」として算定できます。
ネイチャーフットプリントは、既存のLCA手法(LIME3等)の延長線上にあります。LCA/CFPで培った実務経験——フロー図の作成、データ収集、ホットスポット分析——がそのまま活きる手法です。
なぜ今、注目されているのか——3つの潮流
潮流1:国際ルールの急速な整備
TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)に開示を宣言した日本企業は217社で世界最多です。さらに、ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)は2024年4月に「生物多様性・生態系・生態系サービス」をリサーチプロジェクトのアジェンダに追加し、自然資本に関する開示基準の策定を進めています。
TNFDは2026年第4四半期以降、独自活動を一旦縮小してISSBプログラムの支援に注力する方針を発表しています。これは、自然資本に関する開示ルールが一本化の方向に進んでいることを意味します。CFPにおけるPEF(製品環境フットプリント)の動きと同様、企業にとっては「どの基準に準拠すべきか」が明確になりつつあります。
潮流2:日本政府の積極的な推進
内閣府は「自然共生領域に係る国際標準戦略」を策定中であり、ネイチャーフットプリント手法を国際標準化の事業ターゲットとして位置付けています。欧州主導のルール形成は日本に不利になりやすいため、日本・アジアの実態に即した実効的な手法の確立と標準化が産業競争力の観点から重要とされています。
企業向けの「ネイチャーポジティブ経営推進プラットフォーム」が既に稼働しており、ガイダンスの掲載も準備されています。
潮流3:金融機関の動き
農林中央金庫やMS&ADインターリスク総研など、金融機関がネイチャーフットプリントを投融資判断に活用する動きが本格化しています。農林中央金庫はLIME3を用いて投融資ポートフォリオの生物多様性への影響を定量化し、ポートフォリオ管理・顧客エンゲージメント・投融資判断への活用を検討しています。
また、サステナビリティリンクローン(環境KPIの達成状況に応じて金利が変動する融資)のKPIとしてネイチャーフットプリントが活用される可能性も出てきています。金融機関向けのネイチャーフットプリント活用ガイダンスは2026年3月に公開済みです。
中堅中小企業に何が起きるのか
サプライチェーン経由の波及
大企業がTNFD開示を進めれば、サプライヤーにも自然資本情報の提供を求めるようになります。これはCFPがサプライチェーン要請として広がった構造と同じです。実際に、金融機関の分析では、多くの投融資先でスコープ3(サプライチェーン上流)が生物多様性フットプリントの50%以上を占めることが明らかになっています。
金融機関の目線の変化
環境省はESG地域金融の実践を約7年にわたり推進しており、地域金融機関(地銀・信金・信組)の多くがこの問題意識を共有し始めています。金融庁の事業性評価に関する法律により、無形資産を含む企業価値の評価が間接金融にも波及しつつあります。事業性評価の一環としてネイチャーフットプリントが組み込まれる可能性は十分にあります。
ただし、今すぐの対応が必須ではない
重要な点として、中堅中小企業に今すぐネイチャーフットプリントの算定が求められているわけではありません。まずはネイチャーフットプリントの概念を理解し、自社の事業が自然資本にどう依存・影響しているかを把握することが第一歩です。
今からできる3つのこと
1. 自社の自然資本への依存・影響を棚卸しする
主要原材料が何に由来しているか——農産物なのか、鉱物資源なのか、水を大量に使う工程があるのか——を整理しましょう。原材料の調達先がどの地域にあるかも重要な情報です。TNFDのLEAPアプローチでいう「L(Locate:自然との接点を特定する)」の第一歩にあたります。
2. LCA/CFPの基盤を整える
ネイチャーフットプリントはLCAの延長線上にある手法です。まだLCA/CFP算定に着手していない場合は、まずLCAの基礎から始めることをお勧めします。フロー図の作成、データ収集体制の構築、ホットスポット分析の経験——これらはすべてネイチャーフットプリント対応の基盤になります。
3. 動向をウォッチする
2025〜2026年は、ネイチャーフットプリントに関する重要なマイルストーンが続きます。
- 環境省「ネイチャーフットプリントv1」の完成・公表(2025年度内)
- ISSBによる自然資本関連の開示基準策定の進展
- MiLCAへのネイチャーフットプリント機能の実装(2026年5月頃)
これらの動向を把握し、自社にとっての影響とタイミングを見極めることが重要です。
まとめ
ネイチャーフットプリントは、カーボンの「次」に来る新しい概念ではなく、カーボンを「包含する」より広い環境評価の枠組みです。国際ルール(TNFD・ISSB)、国内政策(内閣府・環境省)、金融機関の動きという3方向から、企業への波及が確実に進行しています。
LCA/CFPに取り組んでいる企業にとっては、これは延長線上にある自然な進化です。今すぐの算定は不要でも、概念を理解し、自社の自然資本との関わりを整理しておくことで、将来の要請に対して先手を打つことができます。
藤森 健
LCAエキスパート・中小企業診断士 / sustainable& 代表
大手コンサルティングファームにてサステナビリティ戦略・LCA算定プロジェクトを多数経験。2024年にsustainable&を設立し、中堅・中小企業のサステナビリティ経営を伴走型で支援している。