2025年11月、ブラジル・ベレンで開催されたCOP30で、カーボンアカウンティングの世界に静かだが決定的な転換点が訪れました。ISO(国際標準化機構)とGHGプロトコル(Greenhouse Gas Protocol)が、COP30議長国アクションアジェンダのもとで、企業レベル・製品レベル・プロジェクトレベルの排出量算定基準を国際的に調和化する共同マンデートを受けたのです。
これまで並行して存在してきたISO 14067(製品カーボンフットプリント)、ISO 14064(組織の温室効果ガス算定)、GHGプロトコル製品基準(2011年版)、同コーポレート基準——これらが段階的に統合され、1つの首尾一貫したグローバル基準セットへと収斂していきます。目標時期は2028年末の第2回グローバル・ストックテイク(GST2)。
このニュースは、既にCFP/LCA算定に取り組む日本の製造業担当者にとって「朗報」と「新たな課題」の両面を持ちます。本記事では、ベレンマンデートの中身、予想されるタイムライン、既存の算定実務への影響、そして日本企業が今から備えるべきことを、実務視点で整理します。
1. なぜ今、カーボンアカウンティングの国際調和化なのか
現在のCFP/LCA基準は「断片化」している
現在、製品のカーボンフットプリントを算定する際、主に以下の基準・ガイドラインが並立しています。
- ISO 14067(2018年版、製品カーボンフットプリント)
- ISO 14040/14044(LCA原則・要求事項)
- GHGプロトコル 製品基準(2011年版)
- PAS 2050(英国規格、先駆的なCFP算定指針)
- 各業界団体のPCR(Product Category Rule)
- CBAMの埋込排出量算定ルール(EU独自)
組織レベルでも、ISO 14064シリーズとGHGプロトコル コーポレート基準・Scope2ガイダンス・Scope3スタンダードが併存します。これらは大筋で整合しているものの、用語の定義、バウンダリー設定、データ要件、割り当て手法に微妙な差異があり、実務者を混乱させてきました。
調達現場ではとりわけ、サプライヤーから提出されるPCFや組織排出量データの信頼性判断に多くの時間が割かれています。同じ製品カテゴリでも算定根拠がバラバラで、横並び比較や自社のScope3への組み込みが難しい——これは、グローバル企業の調達部門から日本の中堅製造業まで、共通して抱える課題です。
断片化のコストは誰が払っているか
基準の断片化は、以下のコストを企業と市場に課します。
- 移行リスクの増加:どの基準に合わせるべきか判断できず、投資判断が遅れる
- 不要なコンプライアンスコスト:同じデータを複数フォーマットで整備する負担
- サプライヤーデータの信頼性低下:比較可能性がなく、Scope3算定の精度が下がる
- 資本配分の減速:投資家がデータを信頼できず、低炭素製品への資金フローが鈍化
- 低炭素製品の競争劣位:製品の環境優位性を市場に正しく伝えられない
投資家との対話においても、算定根拠がバラバラなサステナビリティデータは、脱炭素戦略の説得力を著しく損なう要因になります。どの基準で算定し、どう検証したかを都度説明する必要があり、結果として資本配分判断が後ろ倒しになる。逆に、共通の基盤の上で整然と提示されたカーボンデータは、経営の脱炭素シナリオを支える定量的な裏付けとして機能し、低炭素分野への投資判断を加速させます。調和化はコンプライアンス論点ではなく、資本市場との対話を支える戦略インフラとして位置づけられ始めているのです。
2. ベレンマンデートとは何か——COP30で始まった新しい動き
マンデートの位置づけ
COP30議長国アクションアジェンダは6つの軸(5つのテーマ別+1つの横断的)で構成され、約160のイニシアチブが含まれます。そのうち約半数が整合のとれたカーボンアカウンティング基準を必要としていることが明らかになりました。
カーボンアカウンティングは、産業界の脱炭素化加速(鉄鋼・セメントのグリーン化)、持続可能な農業、カーボンマーケットの健全化など、あらゆるセクターの変革を支える基盤インフラです。ここが断片化したままでは、アクションアジェンダ全体の実施が進みません。
この認識のもと、ISO(173カ国の国家メンバー、6万人超の専門家)とGHGプロトコル(S&P 500企業の97%が利用)が、双方の技術的蓄積を持ち寄って共同で基準を収斂させる合意が形成されました。
マンデートのスコープ
調和化の対象は以下の3つのレベルに整理されています。
- 企業レベル(Corporate level):組織の排出量算定(Scope 1/2/3)
- 製品レベル(Product level):CFP/LCA
- プロジェクトレベル(Project level):個別の削減プロジェクト
特に製品レベルは、CBAM対応、デジタル製品パスポート、サプライチェーン排出量の可視化など、規制・市場双方からの圧力が最も強い領域として、優先的に取り組まれています。
タイムライン:2026〜2028年の3フェーズ
- 2026年:戦略的整合フェーズ。ステークホルダーとの対話、優先事項の特定、ユースケースの整理。ISOとGHGプロトコルの共同作業部会が進行
- 2027年:技術基準のドラフト策定フェーズ。共通の用語・定義・データセットを含む基準案が公開、パブリックコメント
- 2028年末:COP33での第2回グローバル・ストックテイク(GST2)に合わせて調和化基準を完成。旧基準は新基準の公表後に段階的に廃止
ただし、現行のISO 14067・ISO 14064・GHGプロトコル各基準は、調和化基準の公表までは引き続き有効であり、ギャップ期間は発生しない設計になっています。
3. 具体的に何が統合されるのか——3つの核心論点
製品レベル:ISO 14067 × GHGプロトコル製品基準の統合
最もホットな領域です。現在:
- ISO 14067(2018):製品のライフサイクルGHG排出量算定の国際規格
- GHGプロトコル製品基準(2011):製品レベルGHG算定のデファクト基準
この2つは多くの共通点を持ちつつ、割り当て手法(allocation)、再生可能エネルギー帰属、バイオ由来炭素の扱いなどで細かな違いがあります。今後は1つのコヒーレントな製品レベル基準として再構築される見込みです。
実は既に、PACT(後述)のガイドラインがISO 14067を参照する形で運用されており、最低限の相互運用性は担保されています。完全な統合に向けては、この既存の互換性が土台となります。
企業レベル:GHGプロトコル Scope2/Scope3改訂と ISO 14064の整合
GHGプロトコル側では、Scope2ガイダンスとScope3スタンダードの改訂作業が既に進行中。並行して、アクション・マーケット・インストゥルメンツ(カーボンクレジット・RECなどの扱い)の整理も進みます。
ISO 14064シリーズとこれらの改訂版の整合がマンデートの柱の1つ。特にScope3は、多くの日本企業が現在進行形で算定体制を構築している最中であり、改訂内容を早期にキャッチアップしないと、構築した体制の手戻りリスクがあります。
データ流通インフラ:PACT(Partnership for Carbon Transparency)
製品カーボンデータの「SWIFT」を目指すイニシアチブです。現在約5,000社が参加し、年間400万件のPCFがアーキテクチャ上で扱われているとされています。PACTは算定手法そのものではなく、PCFデータをサプライチェーン・国境を越えて安全にやり取りするプロトコルを提供します。
ベレンマンデートは、PACTのようなデータ交換インフラと、ISO/GHGプロトコルの算定基準を統合的に設計する機会として位置づけられています。CBAM・デジタル製品パスポートの実装にも、このデータ流通レイヤーが不可欠です。
4. CBAM・デジタル製品パスポートとの連動
CBAMの埋込排出量算定との関係
EUのCBAM(炭素国境調整メカニズム)は、輸入品の埋込排出量に応じて調整金を課す制度です。2026年本格運用フェーズに入り、日本の鉄鋼・アルミ・セメント・肥料・水素・電力輸出企業は対応必須。
CBAM算定ルールと、調和化されるグローバルPCF基準の整合がベレンマンデートの重要な射程に含まれます。将来的には、CBAM対応で算定したPCFがそのまま他の用途(顧客要求、SBT、投資家開示)にも使える可能性が高まります。
デジタル製品パスポート(DPP)との関係
EUのエコデザイン規則のもとで順次導入されるデジタル製品パスポートは、製品の環境情報(PCF含む)を電子的に開示する仕組み。2027年以降、バッテリー、繊維、建材、電子機器などが対象になります。
製品レベル基準の調和化は、デジタル製品パスポートなどの規制対応のためだけでなく、エコデザインへのシフトによって将来の競争力を高める手段として位置づけられます。日本の消費財・BtoB製品メーカーにとっても、DPP対応は単なるコンプライアンスではなく、製品の環境価値を国際市場で正しく評価されるためのゲートウェイになります。
5. 既存の算定実務への影響——「やり直し」は発生するのか
ここが多くの企業担当者にとって最大の関心事となる論点を整理します。
既存のGHGインベントリは作り直さない
ISOおよびGHGプロトコル双方の公式スタンスとして、既存のインベントリを再構築する要件はないことが明確化されています。若干の調整は発生しうるものの、これまで蓄積してきた算定データを全面的に捨てて一から作り直す必要はありません。
調和化の原則は以下の3点です。
- 後方互換性(backward compatibility)
- 漸進的収斂(incremental convergence)
- 相互運用性の維持(interoperability)
ただし「影響ゼロ」ではない
一方で、以下の領域では一定の調整作業が発生する可能性が高いです。
- Scope2算定:ロケーション基準・マーケット基準の整理、RE属性の扱い
- Scope3カテゴリの境界:カテゴリ1(購入製品)とカテゴリ11(使用段階)のデータ要件
- 製品レベルの配分(allocation)ルール:共製品・副産物の扱い
- バイオ由来炭素・土地利用変化排出:中立性の扱いが厳格化される可能性
- 検証・第三者保証の要件:ISO 14064-3ベースで整備される見込み
現在進行形でCFP/LCAを算定中の企業は、「基準は変わる可能性がある」という前提で、データのトレーサビリティ・バージョン管理を徹底しておくことが肝要です。
参加して情報をいち早く掴む手段
ISOとGHGプロトコルは極めてオープンなプロセスで基準を策定しているという点も、日本企業にとって重要なポイントです。最終基準の公表を待つのではなく、ドラフト段階から内容を把握し、自社の立場を反映させる機会が用意されています。
- ISO側の入口:各国のISOメンバー機関を通じて専門家として参加可能(日本はJISC)。ISOのリエゾン組織は800近くあります
- GHGプロトコル側の入口:WRI(研究)、WBCSD(ビジネス)、各種独立基準委員会(SBTi・ISSB・CDP・EFRAG・GRIがオブザーバー参加)
- 製品レベル特化:PACT、CBAMコミュニティ、デジタル製品パスポート関連ワーキンググループ
日本企業としては、業界団体経由でJISC専門委員会に情報ルートを持つこと、GHGプロトコル/WBCSDのパブリックコメントに個社として意見を出すことの2つが現実的な参画手段になります。
6. 日本企業が今から備えるべき5つのアクション
① 算定の「バージョン管理」を徹底する
使用した基準(ISO 14067:2018 / GHGプロトコル製品基準 2011等)を明記し、算定パラメータ・排出係数・バウンダリー設定の根拠を文書化する。将来の調和化基準への再計算を最小コストで実施できる体制を作ります。
② データのデジタル化・標準化を進める
Excel算定からの脱却、CFP算定ツール・LCAソフトウェア活用、PACTフォーマット(PACT Pathfinder Framework)での出力対応。データ流通インフラの標準化に乗り遅れない備えが必要です。
③ サプライヤーデータ収集体制を構築する
Scope3カテゴリ1・製品レベル算定の精度は、サプライヤーから取得する一次データの質に依存します。調和化基準の公表前に、主要サプライヤーとのデータ連携体制を整備しておきましょう。
④ 国際動向の情報源を複線化する
JISC、業界団体、コンサルティングパートナー、GHGプロトコル/ISOの公開ドラフトなど、情報源を複数持ち、2026〜2028年の動きを継続的にウォッチします。社内で四半期ごとの国際動向レビュー会を定例化することも有効です。
⑤ 経営層に「調和化は戦略機会」と位置づけて報告する
調和化対応をコンプライアンスコストとして扱うのではなく、経営判断の明確性を高め、資本市場との対話を強化する戦略ツールとして社内で位置づける。低炭素製品の国際競争力を高める投資として、経営の理解を得ることが重要です。
7. まとめ——調和化は「報酬が大きい旅」
ベレンマンデートは、これまでバラバラに進化してきたCFP/LCA・組織GHG算定の世界に、はじめて統合的なロードマップを提示しました。完成は2028年末、まだ先のように見えますが、逆算すると2026年の今が、情報収集と体制整備を始める最適なタイミングです。
重要なのは、調和化は最低公分母への引き下げではなく、堅牢で正確な基準を目指す取り組みだという点。正しく実現できたときの報酬は非常に大きい。低炭素製品が国際市場で正当に評価され、投資家がデータを信頼し、資本フローが脱炭素化を加速する——こうした市場シフトこそが調和化の目的であり、日本企業がその波に乗るか取り残されるかは、この2〜3年の備えで決まります。
一方で、複雑化する国際動向を社内リソースだけで追い切るのは、多くの企業にとって現実的ではありません。CFP/LCA算定の実務経験と、ISO・GHGプロトコル・CBAM・DPP等の国際規制動向の双方に精通した専門家との連携が、これからのサステナビリティ担当者の武器になります。
sustainable& では、CFP/LCA算定の実務支援から、国際動向を踏まえた中長期のカーボンアカウンティング戦略立案まで一貫してサポートしています。ベレンマンデートへの備えをこれから本格化させたい方は、ぜひ一度ご相談ください。